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2017.03.04 Saturday
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術後1ヶ月
2006.02.05 Sunday
術後1ヶ月診察の日。 今日は先生に余裕があるらしく(いつもは産科⇔婦人科⇔小児科を豪い勢いで廻ってる)、診察室に入るなり 「おぉー、久しぶりだねぇ。どう元気?」 なんて声をかけてくれた。担当の看護士さんも入院中お世話になった人で(恐怖の脊髄麻酔を打ち込まれている間、私の体が動かないようにずっと押さえててくれた人)、 「あら〜、元気そうじゃない」 なんて久々の対面を果たした。 先生は何を思ったのかいきなり 「手術の日に、お母さんと一緒にいた人って彼氏」 なんて、1ヶ月も前のことを思い出したらしい。 そんなことまで覚えてるんだねぇ〜。かなり驚いた。 一瞬、面食らっちゃったもん。笑 「なんか摘出した腫瘍を見るとか見ないとか話してたんですよね?」 って聞き返してみたら 「俺はいいですから!ってすごい拒絶してたよ。笑」だって。 その後も、そんな話をしながら、なんだかいつもより和やかな診察だった。 今日は、採血・検尿と内診。 やっぱりいつになっても内診は伴うんだよなぁ・・・。毎度の如く、嫌でしょうがない。 採血の結果は、やはり軽い貧血気味。それ以外は、問題なし。 「ビタミンと鉄分、摂るように心がけてね」とアドバイスされる。 うーん、心がけてるはずなんだが、なかなか貧血は治らない。 検尿は尿たんぱくを診る為らしい。こちらの結果は聞いてないけど、今まで引っかかったこともないから大丈夫でしょう とりあえず約1ヶ月経ったって事で、やっとお風呂に浸かれる様になりました 寒い時期のシャワーは、本当に辛かった これにて術後の一連の診察は終了 今後は、体調管理の面で引続きお世話になる予定です。 術後1週間の診察
2006.01.25 Wednesday
1週間ぶりに病院へ行きました それにしても、1週間しか経ってないなんて思えない。 なんだか、1ヶ月ぶりぐらいに来た感じ。 久しぶりに内診を受ける。 1週間前は3日連続でされた診察なのに、1週間も経つともう体がビビってる やっぱり内診は、嫌だ・・・ ちゃんと左の卵巣は残ってるようで、一安心。 やっぱり、どこかで信用できてなかったんだよね^^; 傷もチェックされたところ、キレイにくっついているものの、今後傷口をつっぱらせるような動きが増えると、「傷は開かせないわよー」って体もかんばってしまい、結果として傷口が盛り上がってしまうらしい。 「コルセットとかしたほうがいいよー」 と先生に言われたものの、そんなもの持ってないってば さらしを巻くだけでも違うだろうか・・・ なんか常にお祭りみたい。笑 今日の診察での一番の収穫は、摘出したのう腫の病理検査の結果が聞けたこと。 なんと、私ののう腫は、縦11×横11×高さ8cmもあったらしい。 その中には、もう既にお伝え済みの髪の毛の他に、歯・骨・筋肉、さらには腸上皮(腸になる部分)まで含まれていたそうな・・・。 受精卵でもないのに、こんなものが勝手に育っていたなんてね・・・人の体ってやっぱり不思議だ。 先生も「悪性の心配はないでしょう」と前々から言ってたけど、この検査の結果を受けて、「悪性ではない」とお墨付きをもらいました やっと薬に開放される〜なんて思っていたのに、抗生物質をさらに5日分処方され、いい加減うんざりです・・・。 塗り薬ももらいました。これで少しは傷のヒリヒリ感がとれるはず。 あと、2/5に1ヶ月後診察に行けば、私のvs卵巣のう腫記は完結です 感謝を込めて−卵巣のう腫の手術を終えて
2006.01.17 Tuesday
ランソウノウシュ・・・? 何だ、そりゃ?と思う人も多いと思います。 現に私がそうでした。 婦人科系の病気で子宮筋腫や子宮内膜症はよく聞きますが、意外と卵巣に関する病気というのは知られていないのが現状です。 そして私は「卵巣のう腫」という病気を患い、その摘出手術を受けました。 女性なら誰でもなり得る病気であり、さらに、卵巣は神経が通っていないため、気付かぬうちに大きくなっているという病気でもあります。 婦人科にお世話になるなんて思いもしなかった私の体験談を通して、同年代に限らず、女性の皆さんにどんな病気なのかを知ってもらいたい。 男性にも女性はこんな病気にもなるんだということを知ってもらえれば幸せだなぁと思い、出来るだけ赤裸々に入院日誌を綴りました。 あくまでも個人の手術体験記ですが、このブログを通して病気を知る、そして婦人科へ健診に行く勇気を持つきっかけにしてもらえたらなぁと思います。 <第1部 入院まで> 12/3 予期せぬ出会い 12/5 借金取りのようなMRI 12/11 未婚23歳というハードル 12/18 診断書ゲット 12/28 仕事納め。そしてお休みへ・・・ 1/3 入院へ向けてのお買い物 1/6 12日間のさようなら <第2部 入院生活> 1/6 縦か横か 1/7 手術前から大試練!−脊髄麻酔 1/8 いよいよ手術 1/9 重り・床ずれ・おもゆ−術後1日目 1/10 クララが立った・・・?−術後2日目 1/12 麻酔後遺症とのバトル−術後3・4日目 1/13 のう腫とご対面−術後5日目 1/14 点滴サヨウナラ−術後6日目 1/15 抜ホッチキス−術後7日目 1/16 最後に最大の衝撃!−術後8日目 1/17 退院しました。−術後9日目 今回、この病気になって、やはり心強かったのは母の存在でした。 初めての入院で、この病気。 母も経験したことのない開腹手術を受けることになった私を、私以上に心配してくれたと思う。 母は強しだなぁと2週間の産婦人科生活を経て、改めて感じました。 そして、家族。 やっぱり、家族って温かいなぁ〜としみじみ感じてしまった2週間でした。 会社の人たちにも1ヶ月という長期休暇をもらい、私の仕事を引き継いでくれた社員さんをはじめ、「元気になって戻っておいで」とみんなで送り出してくれました。 最後に、相方。 私の患った病気を理解しようと努めてくれたこと。 そして、ちゃんと話を聞いてくれたこと。 この病気を一緒に乗り越えてくれたこと。 1つ大きな山を越えられたのではないかと感じています。 もし本のようにこの体験記を誰かに捧げるとするならば、彼らに感謝の意をたっぷりつめこんで送りたいと思います どうも、ありがとう 【追記】2009年2月21日 この卵巣のう腫体験記は以前使っていた別のブログから引越ししてきたデータのため、当時頂いたコメントがインポートされていません。 時期を見計らって頂いたコメントもお引越しいたします。 当時コメントを寄せてくださった方々にも本当に励まされました。ありがとうございました 退院しました。−術後9日目
2006.01.17 Tuesday
9:00から退院前の診察。 このチャンスを逃せば、うやむやになってしまうと思い、思い切って院長に聞いてみた。 「あの・・・私の左の卵巣は全部なくなっちゃったんですか?」 そうしたら「えぇそんなことないよ。腫瘍の部分だけ削ったんだよ。」との返事が。院長、私はその言葉信じるよ 一晩考えて、2つ残っていようが、1つになっていようが、とにかく明るく生きてやると別の考え方も少し出来るようになっていたので、院長の言葉をスポンジみたいに吸収できた。 というわけで、昼過ぎに12日ぶりに我が家に帰ってきました 自分の部屋やリビング、全てが懐かしいです。笑 入院中、あまり動けなかったせいなのか、昨日から腰痛に悩まされてますが、麻酔の後遺症じゃないとの事なので、とりあえず痛み止めを処方してもらいました。 私の入院ライフは、結構豪華でした。 部屋は個室。 液晶テレビ・可動式介護用ベッド・冷蔵庫・エアコンというちょっとしたホテル並みのお部屋。 若い看護士さんは「産後の人たちとご飯食べるのはツライだろうから・・・」と食事を部屋まで持ってきてくれたり。 新しい個人病院だけあって、若い妊婦さんには人気のようで、そういう女心を掴むのが上手いというか、とにかくキレイっていうのが高評価なのでしょう。 大きな総合病院では、こんなに一人でのびのびと生活は出来なかったと思うなぁ。 次は1週間後に外来で診察を受けてきます。 最後に最大の衝撃!−術後8日目
2006.01.16 Monday
本日は、シャワー解禁日。 やっっっっっとシャワーが浴びれました。 しかし、その前には・・・傷とのご対面がありました。 縦に伸びた傷口。 それを留めていたホッチキスのような金属のはまっていた場所のかさぶたが、おへその下から、まっすぐにピーっと。 あぁ、おなか切られたんだなぁ・・・私 とやっと、現実に直面しました。 シャワーを浴びて数時間後、看護士さんの中でも1・2番を競うほど優しくしてくれた看護士さんが退院後の生活についての説明をしに部屋に来てくれました。 そして、渡されたプリントを見ると・・・ あなたが受けた手術は・・・(左卵巣のう腫摘出手術)です。 と書かれ、その下に、左の卵巣及び卵管全てを取りましたと図解されている えぇ先生は、のう腫だけ取って卵巣は残すって言ってたのに・・・。 私は左卵巣を全て失っちゃったってこと・・・? その後、看護士さんがいろいろ説明をしてくれたんだけど、正直よく覚えてない。 2つあるはずのものが、2つのままなのか。 それとも1つになってしまったのか・・・。 卵巣は目に見えない臓器だけれども、例えるならば胸を片方失うようなもの。 女であることを半分失うような、そんな気持ち。。。 1つあれば女性としては問題ないというけれど・・・。 お腹に傷がある。しかも、卵巣が片方しかない。。。 夜になり、退院直前だというのにどん底に落とされた気分でした。。。 抜ホッチキス−術後7日目
2006.01.15 Sunday
ついに来た。抜糸の瞬間。 前日迂闊に見てしまい、「こんなにしっかりしたホッチキスが私の体を留めてるの〜」とビビってしまった、あの金属。 ベッドに寝かせられ、手を胸の上で握っていてくださいと指示される。 「じゃあ、これから取っていきますねぇ。下に行くほど痛いと思いますけど、がんばってください」 いつもの院長先生じゃないので、こっちも若干緊張してしまった。 言われたとおり、下に行くほど痛みが強くなる。 でも、脊髄麻酔の痛さと比べたらどおってことなかった。笑 パチン。パチン。 規則的に抜かれていく金属たち。 よく、この金属だけで私のお腹のお肉たち、よくくっついたねと感心。 しかし、取った直後っていきなり支えがなくなるみたいでちょっと不安。 こんな時に限って(?)、相方が久々にお見舞いに来てくれた。 しかも、モロゾフのプリン持参 病院の人&家族以外と話すのは数日ぶりなので、なんだか笑いのツボのハードルがかなり下がってしまったらしく、言うこと言うこと面白くてしょうがない。 「あたたたたた。腹筋痛いよ。あははははは」 なんて、バカな会話をしてました。久々に笑うことの出来た時間だった。 夜の回診は院長が来て、「傷口見た?キレイに縦に一直線でしょ?」と自慢げだった。 看護士さんも消毒の度に「キレイについてるよー」と言ってくれるんだけど、もう元に戻らないことはわかってる。 まだ、どうしても見れなかった。 心の準備が出来ていなかった。 だって、明日にはシャワーが浴びれるから、嫌でもその時に現実と直面するんだ。 点滴サヨウナラ−術後6日目
2006.01.14 Saturday
頭痛も治まったってことで、普通の術後経過予定より2日遅れて点滴を外してもらう。 やった〜これによって、やっとパジャマを着替えることが出来た。 そういえば、入院中点滴で1つやってしまったことがある・・・。 名付けて「起きたら血の海事件」。 左手に点滴を付け寝ていた13日の明け方。 なんも意識せずに寝返りを打ちながら寝ていたら・・・んんん?左手がなんか冷たい ハッとして起きたら、左手の点滴が外れ、直径30cmはあろうかという血の海が完成してた。 慌ててナースコールで「点滴外れて、ベッドが血まみれなんです」と呼び出し。 ちなみに頭痛もまだ取れてなかった頃なので、機敏に動くことも出来ず、ベッドの上でぐったり・・・。 外れてしまった部分は、他の点滴も一緒に注入できるようにするための3つに分けられるジャックのような箇所。 そこが外れてしまい、私の血がその管を通して流失してたってこと・・・。 外れるなんて思っていなかったから、ホントに驚いた 今度、点滴するようなことがあったら、気をつけて寝るからね・・・と誓った朝の事件でした。 この日から先生による内診がスタート。 超音波やらで中から手術後の経過をチェック。 「傷口見たかい?」と先生。 「いえ、まだ見てないんです」と答えた。というより、正直見たくなかった。 「明日抜糸するからね」と言われたけど、正確に言うと「抜金属」。 今は糸で縫うんじゃなくて、ホッチキスのような金属で留めるだそう。 このほうが、後々傷口もキレイになるのだとか。 明日外すのなら・・・と思い、こっそりガーゼを外して見てみたら、衝撃の光景が いや、「ホッチキスのようなもので留められている」ってわかってはいても、実際に自分のお腹がフランケンシュタインのようになっているのは、なんとも言えないショックでした・・・。 こんなことなら見なきゃよかった。 ちょっと翌日の抜糸が怖くなってしまった。。。 のう腫とご対面−術後5日目
2006.01.13 Friday
この日の目標は、「水分ガバガバ頭痛よ、さようなら〜」ということで、一日に2.5L近い水&お茶を飲みました。 先生が「頭痛の原因は、脊髄麻酔を入れたところから液が漏れちゃうからなんだよ。そこがふさがっちゃえば、今までのはなんだったの?って思うほど、頭が冴えるからね」と言っていた。 そして、その瞬間は・・・この日の夕食前に訪れました〜。 それまで、起き上がろうとするとズキンと響いていた頭に、何も変化が起こらない こんなことなら、もっと前から「水分取れ」っていう指令を下して欲しかった・・・。 そして、この日の夜、はじめて自分の体から取り出されたのう腫の写真をもらいました。 先生は「現物みたいよね」と是が非でも現物を見せたかったらしいが、もう病理検査に出してしまい、写真しかないってことで残念そうだった・・・が、私は現物は見たくなかった。 写真だけで十分だと思っていたけど、その写真はプリントアウトしてもらって持って帰ってきたかった。 前に撮影したMRIの写真から想像するに、一番大きいところで12cmはあろうかという塊だったのは覚えてる。 手術直後、モノを直接確認した母には「あんな大きなものをおなかに抱えてたのねぇ〜」なんて言われてた。 「赤ちゃんで言うと、妊娠3ヶ月ぐらいはあったわね」と言われても、ピンとこなかったので「果物で例えると?」と聞いてみたら「新高」と返ってきた。 梨の中でも大ぶりの新高。比較的まんまるに近かった私ののう腫は、リンゴを越えて新高まで育っていたらしい。 いやぁ、こんなモノをおなかに抱えながら、毎日のように数十個も重たい本の梱包をやっていたなんて・・・。 破裂したり、重さに耐え切れなくなって茎捻転を起こさなかったなぁ・・・と思う。 そんなことになっていたら、救急車モノだった。 「新高」でもピンと来ない人は、市販の中サイズ鏡餅の土台の方を想像してもらえるといいかもしれない。 私の卵巣のう腫は、皮様のう腫(デルモイド)と呼ばれるもので、脂肪の塊の中に髪の毛・筋肉・歯など・・・そういうものを含むタイプというのは、もう説明済みだけれども、写真で見て「本当に髪の毛が中に入ってるよ〜」と妙に納得してしまった。 おなかの中に髪の毛。 考えてみればおかしな話。 しかし、こんな病気もあるんです。 そういえば、ブラックジャックのピノコはこののう腫から作られた設定になってるのだとか。 そう考えれば、この病気が身近なものに感じてくれるのかもしれない。 麻酔後遺症とのバトル−術後3・4日目
2006.01.12 Thursday
相変わらず、頭痛が取れない・・・。 2日目:肩から頭全体にかけて 3日目:肩から頭の真ん中ぐらいまで 4日目:後頭部 この時、私は頭が痛い=動きたくないになっていて、トイレに行くのも嫌がっていたので、水分も食事の時に出てくる麦茶と1日500mlのペットボトルを1本しか飲まないような生活をしてました。 本来なら4日目で終わるはずの点滴も1日多い5日目まで繋ぐことになったのも、他の人より点滴の量を多くいれているということにかまけてた。 だって、ほぼ1日中繋がれっぱなしで、確実に体内に入っているのが目に見えてわかるので、「こんなに入ってるんだから、大丈夫だろう」なんて思ってた。 でも、よくよく考えてみれば術前の夜にあんなことになったり、直前に効かなかった麻酔の存在を考えれば、とにかく体内から出す努力をすべきでした・・・。 というわけで、3・4日目はかなりグロッキーな状態で、ただただ時間が過ぎていきました。。。 クララが立った・・・?−術後2日目
2006.01.10 Tuesday
術後2日目。 朝、おなかの上の重りを取ってもらえました。 ほっと一安心・・・と思っていた私に、今度は咳が襲ってきた おなかを開いた直後なので、咳をすると腹筋を使うのでこれがなかなか痛い。 すぐに咳止めの薬&気管を確保するためのシールを処方してもらいました。 相変わらず、背中が痛く湿布も処方してもらうことに。 この時、背中の痛みは麻酔の後遺症だということを、まだわかっていませんでした・・・。 この日に、部屋にやってくる看護士さんみんなに聞かれたのは「ガス出たよね?」。 しかも、こちらの返答を待たずに、もう完了形で話が進んでいく。笑 盲腸の手術をするとこう聞かれるってことは知ってたけど、これは“開腹手術をしたら”って意味だったのね。 おなかを開く手術をした直後だというのに、意外とおなかはポコポコ動くもので、人体の不思議をちょっと感じたりしてました。 夜、手術直前に入れられた尿管を取ってもらえることに。 ということはつまり・・・自分で立ってトイレへ行かなきゃいけないということ。 人が立つ&歩行する上で支えになる部分を切ってくっつけてる最中なので、正直立つのは怖いし、結構ツライと聞いていた。 どうしてもツラいようなら、そのシチュエーションを逆手にとってドラマチックに自分がアルプスの少女ハイジのクララになった気分で 「クララが立った〜」 と喜びを自ら演出するとよい、なんてことを入院前に見た卵巣のう腫先輩のサイト:みのりさんのサイト「二条院」に書いてあったので、「よし、私もクララになろう」なんて思ってました。 しかし、いざ「立って」と言われたら・・・あら、意外とすんなり立てちゃったよ。爆 リハビリ開始だーなんて意気込んでいたんだけど、やっぱり頭痛が取れないので、グロッキー状態。。。 1/3 >>
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